時の流れゆくままに・20 | 府中まちコム
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作成日 2022.10.14

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・20

通常の早朝散歩では、自宅に近い関戸橋のたもとに出たあと、「風の道」と呼ばれる府中市側の多摩堤を伝い上流方向へと遡る。そして四谷橋に至ったら同橋を渡って対岸の多摩市側の堤上に立ち、そのあと下流方向へと進み関戸橋を目指す。最後に関戸橋を渡ってスタート地点に戻るわけだが、そのコースは1周約5キロほどである。多摩市側の堤の四谷橋と関戸橋の中間地点付近には宮之下公園という小さな公園があり、折々そこのベンチのひとつに腰を下ろし、しばし朝焼けに染まる(くれない)の東の空を仰ぎ見たりもしている。

その公園に毎朝5時前くらいにやってきて、お決りの場所のベンチに坐り、沈思黙考に耽る老人の姿があった。そのあと老人は杖をつきながら慎重に立ち上がり、ゆっくりとした足取りで堤へと上ると、そのまま上流方向へと歩み去るのが常だった。見るからに品格を湛えたその人物像に心惹かれた私は、ある日、思い切って声を掛けてみたのである。

快く私の挨拶に応じてくれたその老人は、何と96歳のご高齢とかで、数十年来この近くにお住まいだが、今は独りきりで生活なさっておられるとのことであった。新潟県柏崎の出身とかで、戦時中は高射砲の射撃担当兵だったのだそうだ。戦後は京王バスに勤務するようになり、運転手を経て同バス会社の要職にまで昇り詰められたのだという。途切れ途切れの記憶を懸命に辿りながら語ってくださるその諸々の逸話は、実に興味深いものではあった。

ただ、別れ際にご老人が発した言葉は想定外のものであった。5日後には長年住んだこの地を離れ、一人娘の住む町田市内の老人養護施設に入居なさるのだという。奥様は数年前にその施設に入っておられるが、部屋は別々になるとのことだった。「もうこの多摩堤を歩くこともできなくなりますし、周辺に散歩する所もない施設に入ったら、唯じっと部屋に籠って最後の日を待つしかありませんね」と呟き語る老人の姿は、なんとも寂しげでもあった。

お互いもう少し早くお話しできればよかったですねと言いながら、私達はそれから3日間、毎朝5時に公園のベンチで待ち合わせ、様々な回顧譚に耽ったのである。ご老人は家財道具も家も一切処分し、読書用に好きな本数冊だけを携えて施設入りするとの話だったので、最後の日に拙著の旅歌随想集「還りなき旅路にて」を進呈した。駄作にもかかわらずとても喜んでもらえたのは幸いだった。その翌朝も宮之下公園に足を運んだが、もう老人の姿はそこにはなかった。それは一期一会ならぬ「一期四会」の稀有な体験ではあったのだ。

(本田成親)