時の流れゆくままに・23 | 府中まちコム
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作成日 2023.01.01

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・23

2023年1月1日(日)

令和5年1月1日の早朝、初日の出を迎えるために多摩川に架かる四谷橋へと足を運んだ。当日は稀に見るほどの晴天で、風の道と呼ばれる府中市側の土手伝いに四谷橋へと向かう途中からは、富士山や多摩連山のシルエットが、まるでその稜線の美しさを誇示でもするかのように、くっきりと浮かび上がって見えた。

四谷橋下流側の歩道上は、携帯カメラを構えながら御来光を待つ人々で溢れており、多摩市側へと向かう車道の左脇添いには、一時駐停車中の乗用車がずらりと列をなして並んでいた。通常なら駐停車違反でたちまち摘発されてしまうところだが、さすがに警察もこの日のこの時刻だけは大目に見るしかないに相違ない。「交通規則、皆で破れば怖くない」とでも言ったところなのだろう。

それにしても、東京都郊外の住宅密集地の一帯にあって、新年の御来光を仰ぐのにこれほど相応しい場所が存在しているというのは、いささか意外なことではあろう。四谷橋に直接関わる府中市、多摩市、日野市などの在住者でも、この橋上が一年の始まりを体感するのに至便かつ最適な場所だと知っている人の割合はそう高くはないことだろう。

縁起の良い「7」という数字にあやかりでもするかのように、午前7時ぴったりに太陽は東の空にその神々しい姿を現した。橋上に立つ人々の間から軽いどよめきが湧き上がるのを耳にしながら、一瞬心中で神聖な陽光に向かって合掌をし終えた私は、柄にもなくスマートフォンを取り出し何枚かの写真を撮ったりもした。正直なところ、かく言う私もまた、この四谷橋上で御来光を仰ぐのは初めてのことだったのだが、敢えて眠気を振り払いながら足を運んできただけの甲斐はあったと思ったような次第である。

コロナ流行、ウクライナ紛争、経済不況、政界の堕落と混迷と、今年もまた社会不安の数々はとどまるところを知らないが、ここはお天道様の超越的なお導きのほどに一切を委ねるしかないと、傘寿を迎えた己の非力さをつくづく顧みるばかりであった。

(本田成親)