時の流れゆくままに・63 | 府中まちコム
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作成日 2026.05.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・63

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(平凡)
最もそうであることの難しい心理的状態のこと。生来、個々の人間というものは大なり小なり自己に対する承認欲求を抱いている。それゆえに、他者と比べて目立つことのない様相を意味するこの言葉のような状況に甘んじることは容易でない。真の意味でこの言葉の含みもつ心的状況に到達するには、世捨て人並みに、ある種の悟りの心域にまで至らなければならないだろう。しかし、何とも皮肉なことには、そんな達観した心境ともなると、最早、平凡などとは言い難い極めて稀有な界域でもあるわけなのだから、話は厄介極まりないというわけなのだ。究極の平凡とは、実のところ非凡そのものにほかならない。

(北極星)
北辰とも称され、古来、天空に君臨する不動のひとつ星として、大航海者や広大な砂漠を旅行く旅人たちの絶対的な指針となり続けてきた。天空を廻る無数の星々の中心であることから、北辰という言葉を用いる場合には、暗に天子や皇宮の意味が込められもしてきた。だが、世界中が御し難い不穏な気配に包まれ始めた当今では、人間という名の不届きな存在を一掃すべくして突然天地が鳴動し、北極星が「北曲星」へと、さらには北辰が「北震」へと変容してしまいかねない異常事態の発生が危惧されるようになっている。

(真面目)
端的に言えば、虚々実々なこの人間社会に対する適応能力が著しく低い性分のこと。悪い輩に騙されたり利用されたりしやすいのも、この種の性格の持ち主がほとんどである。ただ、何かが契機となってある時期から真面目一徹人間が開き直ると、蔭で裏社会をとことん仕切るような大悪党へと変貌してしまうこともあるようだ。どうやら、我々人間は、程よく不真面目であることが好ましいらしい。

(未開)
通常は人間がほとんど関わりを持たないままに残されている自然界の一部や、学術の分野などにあって誰もがまだ足を踏み入れたことのない謎の領域類のことをいう。しかし、隠語的な表現の世界では、処女のことを意味したり、男共が憧れる聖女の深部を「未開の地」と称したりすることもあるようだ。ただ、その種の未開地に関しては、男どもが実際にその内奧に分け入って見ると、既に開拓し尽くされており、己の象徴を巧みに貪り吸い取られるばかりか、妖艶な響きを伴いながら秘泉の奥から湧き流れ出る妖水に翻弄されてしまうことも少なくない。思わぬ反撃に遭ったそんな男らは、悶絶の極みに身を委ねながら、実は自分のほうが未開であったことを痛感もさせられる。開拓され尽くした技巧のかぎりをもって男どもの未開の境地に迫り、それらを開拓すべく次々に彼らを喰い尽くすのが女性の側であることも少なくないのだ。

(無限)
人間の認識能力の限界を示し表す言葉。無限大と無限小の時空の間を寄る辺なく漂い続ける人の魂というものは、己の無力さを思い知らされ、孤独感や孤立感、さらには絶望感に陥ってしまうことも少なくない。そのため、有限の時空の中にのみ目を向け、そこに自らの存在意義を求めようとする者も現われる。しかし、その有限時空の中にさえも、無限小の時空のほうは悪魔のごとくに忍び込んでくる。そして、詰まるところ、その無限小の時空の究極にあるのは、その様相の認識自体が不可能な「無」そのものにほかならない。そもそも、「究極にあるのは無そのもの」という一文が含み持つ「無がある」という記述自体が矛盾を内有してしまっている。「無」と「有」とは完全に相反する概念にほかならないとされているからだ。

(本田成親)