時の流れゆくままに・65 | 府中まちコム
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作成日 2026.07.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・65

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(妖怪)
願わくは一度でいいからその本物に遭遇してみたいとも思いたくなる存在。世の中には数知れぬ妖怪伝説があるが、勇猛果敢で好奇心旺盛な者などが、世に名高い妖怪スポットや心霊スポットなるところに出向いてみても、現実にその怪異な姿を目にすることができるのは皆無に近い。妖怪さん、幽霊さん、もっと人間ども仲よくしましょうや!――心から貴方がたのご登場をお待ちしておりますので……。

(楽園)
日々苦渋の生活を強いられている人間が、一時的にでもそんな悲惨な状況から抜け出たいと願う際に思い描く理想郷。「○○楽園」と称されるその種の人工的理想郷は国内外にも多々存在するが、貧乏人がそんな楽園に入ろうとすると高額な入場料や入園料を支払うことを求められ、その時点でその楽園から即刻「落園」することになってしまう。アダムとイブがサタンにそそのかされて神に背いた結果、その安住の地を追われるさまを描いたミルトンの「失楽園」にみるように、この世は地獄――だが、そんな地獄の沙汰あってこそ、人間は苦悩という名の活性剤を入手しながら生きていくことができるのだ。ある古老が何気なく吐くのを耳にした「寝るは極楽、起きるは地獄」という言葉が、今となっては深く心に沁み入りもする。すべての現実を忘れて深く眠る行為は、楽園入りはともかくも、一時的には恨みなどを振り払う「落怨」くらいの働きはしてくれるだろうからだ。

(離婚)
「婚」という文字は男女が縁組することを表しているが、この少々不可思議な文字を「女」と「昏」とに分解して考えると、「女の夕暮」あるいは「女の黄昏」を意味することになる。昔、結婚式は夕暮時に始まるのが常だったので、この文字が形成されたとも言われるが、ともかくも、お目出度いことを意味する一方で、穿(うが)った読み方をすれば女盛りの終わりをも暗示していることになる。そうだとすれば、「離婚」とは、周囲から女盛りを終えたと見なされている女性が一念発起して、今一度その盛りを取り戻そうとする行為だとも解釈できる。いまや男女平等が高らかに謳い上げられる時代ゆえ、「男」と「昏」を結合した新たな文字が誕生してもよいのかもしれない。「男の黄昏」を意味するその新生文字が何歳くらいの男性の姿を意味するに相応しいかについては、諸見解が分かれるこることにもなるだろうけれども……。

(流罪)
奥の細道の本文中には収録されていないが、曽良日記などによると、奥の細道の旅における越後の道中で、松尾芭蕉は「罪なきも流されたきや佐渡ヶ島」という一句を吟じたのだそうだ。もちろん、芭蕉は、金山のあることで知られる佐渡が、諸々の罪を背負って流された多くの流人たちの生きる島であり、彼らが金鉱山で重労働に服していることも知っていたのだろう。それでもなお佐渡ヶ島に渡ってみたいとの思いにみるような、未知の世界に対する彼の好奇心の旺盛さは並外れていたといってよい。

流罪は当時死罪に次ぐ重罪で、京都を中心として、遠流、中流。近流の三種類があったという。最も罪の重い人物らを送る遠流地としては、伊豆諸島の八丈島や薩南諸島のトカラ列島などがその役割を担っていたようだ。一見悲劇的なことのようにも思われはするが、貴族や高位の武士の類で遠流の罪に処せられた人物らの中には、案外それまでの格式張った生活や雑務の数々から解放され、大自然と融和しながら悠長な流刑生活を送った者もあったようである。

さすがに近代に至ってはこの種の懲罰はなくなった。国家官僚や大企業の人材が中枢部の役職を外され、末端の地方組織などに強制転勤させられることを島流しと呼んだりすることはあるが、それには江戸時代まであった流罪とは雲泥の違いがある。流罪の制度が存在していた時代、何かしらの罪状のもとに日本各地の離島に流された人物らには、時の権力者に異を唱えたり刃向ったりはしたものの、その本質からすると正当そのものの言動を貫いた者も少なくはなかった。そもそも、大悪人などは流罪になる前に処刑されるのが常だったものである。遠い離島への流罪に処せられた人物の多くが、流罪先の島々において島民らの生活向上や文化的素養習得のための一助となった事実からしても、彼らの社会的意義は再評価されるべきかもしれない。その意味では「流罪」という言葉を「罪を洗い流す行為」、すなわち、「有名無実の罪状のことなど忘れ、一人の人間に立ち戻って僻地社会の中で真摯に生きること」だったと解釈してみるのも一興ではあるだろう。

(本田成親)