時の流れゆくままに・66 | 府中まちコム
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作成日 2026.08.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・66

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(歴史)
端的に述べるなら、ばらばらで一貫性のない過去の事実を、諸々の虚偽虚構の糸をもって巧みに繋ぎ纏め、もっともらしく仕上げた壮大な物語。「講談師、見てきたような嘘をつき」という諺があるが、そんな事例に倣うなら、「歴史家や、時空ワープの虚偽語り」とでも言い表すべきだろう。

ただ悲しいことに、自らの存在意義を、不安定かつ予見不可能な現在と未来の事象のみに托して生きることなどできない人間は、それが虚構に満ち満ちたものであるとは感じつつも、過去の歴史に己の存在を支えてもらおうと考えざるを得ない。そして意識するしないにかかわらず、自らもそんな歴史物語の一端を紡ごうと試みるのである。

(老獪)
長年の人生経験を積んだうえでの開き直りのゆえにもたらされる、見るに堪えないずる賢さのこと。その言動のどこまでが真実でどこまでが偽りなのかを的確に判じることができないのが、この振舞いの特徴だとも言える。政治的思想の左右や信仰の有無、倫理や不倫理、正義や不正義などを超越し、その時々に応じてもっとも己の利にかなう言動をとるそのしたたかさは、人生経験の未熟な一般人には到底真似できそうにない。当然、「老害」だとして排斥したくなることもあるのだが、皮肉なことに、世の一方にあっては、折々その狡知さが社会に役立つこともあるから、話は厄介なのである。

(吾輩は猫である)
言わずと知れた夏目漱石の名作の題名である。猫の目から見た飼い主をはじめとする人間どもの姿を、痛烈な風刺を込めて描いた作品だが、一読して啓発されるところも少なくない。誰か心ある現代作家でもいたら、「吾輩はテレビである」とか、「吾輩はスマホである」とかいった疑似タイトルの作品などを執筆してもよいのではなかろうか。「吾輩はテレビである。まだ名はない」のような一文で始まる一連の文章で、心を持つテレビの観点から、作為に満ちみちた情報番組やフェイクニュースの数々に踊らされる現代人の姿を描いてみるのも一興だろう。どうせなら、夏目漱石ならぬ「無爪掻(なつめそう)(せき)」みたいなペンネームで執筆してもらうとよいかもしれない。一時もスマホを手放せない人間だらけになってしまった昨今の状況を思えば、「吾輩はスマホである」のほうともなると、その風刺の程度もとことん極まるということになるだろう。

(本田成親)