燃料廠引込線の跡 | 府中まちコム
府中まちコム

この記事について

作成日 2014.06.02

この記事の分類 思い出アルバム

燃料廠引込線の跡

燃料廠引込線跡2014年6月2日(月)
 戦前、中央線から多摩川に行く砂利線(現在の武蔵野線)があった。途中から東に入る枝線があり、陸軍燃料廠(現在の自衛隊基地)まで引かれていた。

 晴見町団地と農業高校との間を抜けていく道で、現在は富士見通りと呼ばれている。道の曲がり具合に軌道独特の雰囲気が残っている。車輌は長いのでゆるやかなカーブでないと曲がりきれないからである。写真は国分寺街道の農業高校角から線路跡を見たところ。

 戦後、アメリカの極東空軍司令部に接収され、米兵を乗せた列車が走っていた。農業高校の生徒だった私は、走り去る列車の中から笑顔で手を振る米兵の姿を見たことがある。

(池田北令)