時の流れゆくままに・34 | 府中まちコム
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作成日 2023.12.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・34

ウクライナとロシア、さらにはイスラエルとハマスのあいだで絶え間なく繰り広げられる凄惨な事態は、日々その惨劇の度合いを深めゆくばかりである。一人の人間として己の無力さを痛感はするものの、だからといって、敢えてそんな状況に立ち向かうべく何かしらの行動を起こそうという気にもなれない。ただ、ガザ地区の病院や避難先の床に瀕死状態で横たわる多数の乳幼児の姿や、自らも裂傷を負っているにもかかわらずその傍らにあって激しく泣き崩れる親たちの姿を捉えた映像を目の当たりにするにつけても、人間と言うものの残忍極まりない本性を思い知らされざるを得ない。

だがそんな折、さらに衝撃的な映像が目に飛び込んできた。終戦直前の満州北部からソ連軍や中国民兵に追われながらも命からがら帰還した、旧日本人移民の高齢女性の登場するNHK・BSチャンネルのドキュメンタリー番組を通してのことである。両親や兄弟姉妹、さらには数々の仲間らを眼前で斬殺されながらも母国への生還を果たしたという老女がその番組の中で吐いた一言は、私の胸に激しく突き刺さったのであった。

それは、「人間というもの、悲しくてもまだ涙が出るうちは幸せなんです。生きるか死ぬかの凄絶な現場に瀕すると、涙も枯れ果て、人間の死体など単なる物にしか見えなくなってしまうものなんです」という息を呑むような一言だったのだ。窮極の場における人間の姿の本質を抉り出すその言葉に圧倒され、この身はしばし沈黙の淵深くに沈んだものである。そして、そんな沈思の中でたまたま想い起こしたのが次のような戒めの詩文であった。

かつてあったことは、これからもあり、
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいことは何ひとつない。
見よ、これこそが新しい、と言ってみても、
それもまた、久遠の昔からあり、
この時代の前にもあった……。

今から二千数百年前の旧約聖書の中にある有名なコヘレトの言葉なのであるが、ガザ地区での惨劇を前にすると、その人物がユダヤ人の国イスラエルの遠い先祖のひとりであることが皮肉そのものにも思われてきてならない。

(本田成親)