時の流れゆくままに・36 | 府中まちコム
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作成日 2024.02.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・36

2024年2月5日(月)

能登半島一帯が最大震度7にも及ぶ大地震に襲われ、甚大このうえない被害に直面してからもう1ヶ月余が経過した。被災者の方々のために何かしらお役に立ちたいという気持ちだけはあっても、既に老いの八十路入りし、体力も気力も衰え果てた身には、最早何ひとつまともに貢献できるようなことはない。世の片隅で貧乏生活を送るかたわら、被災地域の今後の状況をじっと見守ったり、雀の涙どころか蟻の涙にも及ばない程度の額の硬貨を、申し訳ない思いでそっと募金箱に挿入したりするくらいが関の山だ。

幼少期から少年期まで鹿児島県の離島で育ち、例年のように来襲する猛烈な台風やそれに伴う激烈な暴風雨、雷雨、高潮、河川氾濫、さらにはその結果生じる多数の家屋の倒壊流出、倒木、長期停電、蝋燭・ランプ生活、食料不足などを直に体験してきた身としては、自然災害の凄まじさだけは厭というほどによくわかる。それゆえに今回の大地震による能登半島一帯の被災者の方々のご苦悩のほどは想像に難くないから、己の無力感に苛まれるのもひとしおというわけなのだ。

ただ、昔日の自らの被災経験を通して思い至る、悲願にも近いささやかな光明がひとつだけはある。自然災害に直面した地域の人々間での相互扶助の精神や連帯意識の高まりというものは、平穏な日常生活の続く場からはとても想像もつかないほどに大きく、かつ感動的でさえあるものなのだ。無慈悲な自然災害に起因する救い難い喪失感の直中にあるにもかかわらず、その痛みを超えて人間本来の強い連帯感に目覚め、ひたすら相互に支え合おうとする人々の姿は、気高く尊いものだとさえ言ってもよいだろう。そして、今まさに、そのような状況が能登半島の被災地域一帯では繰り広げられているに違いない。

かつて私は「還りなき旅路にて」(木耳社)という旅歌随想集を出版したことがある。実はその著作の冒頭にある「かなしみも 灯る命のあればとて 夕冴えわたる 能登の海うみ」という一首は、40年ほど前の1983年に能登金剛厳門を訪ねた際、西方海上に沈む夕日を眺めつつ、その折の感慨深い想いを詠み込んだものにほかならない。まさかその能登の地で40年後のしかも新年初日に大地震が起ころうなどとは想像もつかないことではあった。

たとえそれが深い絶望に繋がるかなしみであったとしても、いや、むしろ、そんなかなしみであればあるほどに、そう感じる人の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに相違ない。深いかなしみが命の灯火の輝きの証であるならば、「かなしみ」をより多く背負う人間ほどいまを激しく生きていることになる。「そんな人間こそほんとうはより命を輝かせて生きていると言えるのだよ」という、無言の励ましの言葉をこの夕冴えわたる晩秋の能登の海うみは贈ってくれている――そのような想いを詠み托した歌だったのだが、その折の心象風景が、懸命に生きる昨今の能登の人々の姿と重なって見えもしてくるのだ。

(文・本田成親 絵・渡辺淳)