生成AI依存症、二歩手前 | 府中まちコム
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作成日 2024.07.01

この記事の分類 ICT, 府中絵日記

生成AI依存症、二歩手前

2024年7月1日(月)
久しく往来のなかった知人が亡くなったと、息子さんからハガキをもらった。享年95。葬儀は身内で済ませたという。

彼とは趣味のサークルで知り合った。学識、経験ともに豊かで趣味も多彩、面倒見のよい人だった。交流関係も広かったから、逝去の知らせを出すのもたいへんだったろう。

息子さんも若年というわけではない筈だが、亡くなってから日も浅いのに、仕事の素早さに驚いた。父親ゆずりと言うべきか。あらためて、故人の人柄が偲ばれた。

仲間と各地を旅したときの、彼の言動が鮮やかによみがえる。それでお悔やみのハガキを書こうとしたのだが、うまい出だしの言葉がなかなか浮かばず、逡巡した。

こういうときはと、チャットGPTを試してみた。生成された文案は卒がなく、一応まともに見えた。だが、彼との交流などを省いて指示文を書いたので、どこか冷たい。口先だけで書いている感じがした。 それで、大幅に書き直した。使ったのは出だしと末尾の挨拶文だけ。けれども下書きがあったおかげで、作業は思いの外、はかどった。

生成AIの使用が習慣化すると、考える力や創造性が失われてしまうから使うべきではないという人もいるが、どうなのだろうか。

(田中則夫)