時の流れゆくままに・43 | 府中まちコム
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作成日 2024.09.04

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・43

「天使の辞典」草稿より抜粋

(恋人)
著名な評論家だった吉本隆明が生み出した概念に「対幻想」というものがある。異なる一対の存在が出逢うことによって互いの心中に紡ぎ出される一時的な美しい共同幻影のことで、恋人とはそんな幻覚を催させてくれる最適な対象そのものだといってよい。恋愛とはその種の幻想の象徴的事象とでも言い表すべきものである。さらにまた、「結婚」の項で記したように、いまひとりの高名な評論家だった亀井勝一郎が残した名言に「結婚とは恋愛の墓場であります」という辛辣な言葉がある。吉本がいう「対幻想」の末路を端的に述べ記したものだといってよい。年代的には吉本よりも亀井のほうが先人ではあるけれども、その二人がそれぞれに生み出した文言が見事な対を成して人生模様の要点を的確に捉えていることには、ひとかたならぬ驚きと感銘を覚えざるを得ない。

(催眠術)
他人を催眠状態に誘う他者催眠と、己を催眠状態に導く自己催眠とがあるようだ。前者の事例としては、カリスマ性の高い新興宗教の教祖などが衆人を催眠状態に陥れ、自らの熱烈な信者にしてしまう行為や、専制国家の指導者らが巧みな言動をもって国民全体を催眠状態に導き、自らの存在に対する絶対的信奉者へと変えてしてしまう事態などが挙げられる。このケースの場合は、催眠術を駆使するほうも問題だが、その催眠術に容易にかかってしまうほうにも問題があると言ってよい。ただまあ、殆どの民衆は他者によって大なり小なり何かしらの催眠術にかけられながら日々を送っているものだし、逆にまたそれとなく他者を催眠術にかけながら生き抜いているところもあるのだから、一概にそれが悪いことだとは言えない。例えば、若い男女間の熱烈な恋愛関係などは、「恋人」の項でも述べたように、相互の催眠術のかけ合いによって成り立っているものでもあるのだから……。

なおまた、後者の自己催眠の事例としては、何かしらの不安な心理状態に陥ったような際に、強い自己暗示をかけながら自らの精神を鼓舞し、その状態を克服するケースなどが挙げられる。しかしながら、「俺は天才なのだから、いずれノーベル賞学者になれる」とか、「俺は総理大臣になるために生まれてきたはずだ」とかいったような強欲な自己催眠に挑んだりしたら、たちまち「自己砕眠」状態に陥ってその思いは砕かれてしまうだろう。それと同様に、専制者が国民に対して用いる催眠術もまた、度が過ぎると「砕眠術」となり、眠りを砕かれ目覚めた国民によって、自らのほうが窮地に追い込まれることにもなってしまうだろう。

(本田成親)