時の流れゆくままに・45 | 府中まちコム
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作成日 2024.11.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・45

「天使の辞典」草稿より抜粋

(総理大臣)
別称「総離大尽」ともいう。そのわけは、「大尽」すなわち、お金持ちのお偉いさんではあるが、時が経つごとに総ての人々の心が離れてしまう「総離」現象が生じるからである。どうせなら、「葬利大人」、すなわち、己の利をことごとく葬りながら政治にたずさわる立派な人物という呼称にでもしたほうがよいのだろうが、そうなると誰もその地位には就きたがらなくなってしまうおそれもある。

なおまた、「想利大臣」という別称も存在する。常に国民や国家が「利」を得ることを想い浮かべながら行政に励む人物なら救われもするが、その実態はと言えば、己が、あるは己の派閥が法外な利益を得ることしか眼中にないのが常である。そのため、結局のところは、前述した「総離大臣」と成り果てるのが常だと言ってよい。ときたま「走裏大臣」、すなわち、裏社会の真っ直中を奔走する人物が大臣として登場することもあるが、そのような場合には暴漢による殺傷事件へと発展していく危険性もある。

「総理」とは「総てを治め統括する」というのが原意だが、「理性」や「理知」のかぎりを総て集めて国家国民のために尽くす「総理大臣」などを求める我々国民のほうが、よほど愚かと言うべきなのだろう。何時の日か、政財界の奥に棲みつく数々の「狸」どもを一掃してくれる「掃狸大臣」の登場をと願いたいものだが、それはまあ、「夢のまた夢」ということなのだろう。

(大義)
人の踏み行うべき大切な節義、すなわち人が守り通すべき正しい道なるもののことを言うらしい。しかし、千差万別な生活環境のもと、千種万様の個々の人生路を歩む人間にとって、そもそもそんなものが存在するのか、またたとえ存在したとしてもそれらに意義はあるのかという疑問が湧いてくる。今風に言えば、大義なるものは古今東西の人間の多様な価値観を平均化したものにほかならない。

統計学でいうなら、それは中央値に相当するものであり、中央値からの偏差をなるべく小さくして生きなさいということになってしまう。教育界などを始めとする現世の一部では、偏差の大きさを奨励するきらいさえある昨今の状況を想うと、矛盾も甚だしい話となる。時は移り、人は変わる……そんな現実のもとで生きていかざるを得ない我々個々人は、大義なるものに「大疑」を懐きながら、「小義」のもとで生き抜いていくしかないようだ。

(治安)
治安がよいと言う場合、通常はその地域が安心して暮らせるような状況にあることを意味している。また、そこに住む人々の倫理観が高いことがその要因だとも考えられている。しかし、国際的な観点に立ってみると、治安を守るためという名目で、権力者や専制者らが警察や軍隊を総動員し、自らの強権的支配に反対する人物らを弾圧したり拘束したりすることにも用いられる概念のようである。治安維持法などというと、一見したところもっともらしい法律にも思われるが、その実は横暴極まりない時の政府などが、多くの民衆の反発を強制的に抑え込むための便宜的な法体系に過ぎない。

(本田成親)