時の流れゆくままに・47 | 府中まちコム
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作成日 2025.01.06

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・47

「天使の辞典」草稿より抜粋

(追随する)
人間が自由意志を持つということは、想像以上に困難なことである。たとえ自由に生きる権利を手にしたとしても、それを駆使することは極めて難しい。その結果、多くの場合、人々は「自由からの逃走」を試みる。自分以外の誰かの意志や判断に追随することのほうが、遥かに楽だからなのである。高らかに「自由民主」の理念を掲げる政党員などの実態が「自憂眠守」の追随者ばかりで溢れていることは、その何よりの証だとも言えよう。

社会的動物としての宿命を背負う人間が、自らの完全自由意志のみに従って生きようとすれば、詰まるところは深い山中や絶海の孤島において孤独で厳しい自給自足の生活を送るか、さもなければ、浮浪者となって世の隅々を彷徨い続けていくしかないだろう。だが、そこまでしてもなお、人間という存在は、自ら命を絶ちでもしないかぎり、何かしらのかたちで社会ルールへの追従を余儀なくされるものなのである。だからと言って、この世のすべての束縛から完全開放されるべく自ら息絶えたとしても、それもまた大自然のもたらす抗しがたい超越的ルールへと追随回帰することにほかならない。

(トイレット)
体内の全ての毒気を排出しながら、深い瞑想に耽ることのできる神聖な場所。創造的空間としての機能をも併有している。かつて信州安曇野に居を構えていたある奇人は、来客がトイレを拝借したいと申し出ると、意味深な笑みを浮かべながら、「我が家のトイレ、すなわちWC(Water Closet)はこの奥ですが、そこに入ったら一時間は出てこられませんよ」と囁きかけたものだった。

そのトイレのドア上には、何と英語で、「Works Creative」、すなわち「創造的作業実践の場」という表記がなされていたものである。そこは同じWCでも、単に排泄を済ませるだけの所ではないというわけだった。ドアを開けて中に入ると、通常のトイレよりは少し大きめの空間が広がっており、床面中央の便座脇には小型の本棚が置かれ、そこには漫画からエッセイ、小説まで様々な本が並べられていた。また、ドアのある側の上部壁面を含む前後左右の壁面と天上面の五面は、無数の芸術的造形物や過去の数々の催物の案内チラシなどで覆い尽くされてもいたのである。それらの中には美しい女性の大きなヌード写真なども含まれていたものだ。

便座に座り、上方を見上げると、そこにはその家の主らしい人物が風のように疾走している姿を撮った大きな写真が一枚貼られてもいた。それはある著名な写真家が特別に撮影したものだったらしい。そのトイレ空間内にある書物類や展示物類にじっくりと目を通していたら、とても一時間くらいでは済まないだろうことは確かだった。しかも、最後にはとんでもないオマケまでもがついていた。用足しを終えるべくトイレットペーパーをほどよく破り取ってみると、何とその表面には英語のクロスワードパズルが印刷されていたのである。しかも、それは相当に難解なしろものだったのだ。ちょっぴり悪知恵の働くお客などは、わざとそのクロスワードパズル付きトイレットペーパーを一枚手にしてトイレから出ると、「パズルは解けましたか?」と笑う主に向かって、「解けないのでお尻を拭かないまま出てきました」と遣り返したようでもある。それは、安曇野のドラキュラを自称するその奇人のユーモア溢れる接待に対する客人のせめてものお返しだったとも言えよう。

そのいっぽう、この国の至る所には誰でもが随時使用できる便利な「公衆トイレ」なるものが設けられているが、その種のトイレには「公臭トイレ」という別称をつけたほうがよいかもしれない。その気になれば、そこからは諸々の人々の複雑このうえない人生模様を嗅ぎ取ることさえもできるからである。外出中、近くに適当な休息用ベンチなどが見当たらないような折、公衆トイレに駆け込んで、ロダンの有名な彫刻作品「考える人」そっくりのポーズを取りながら便座の上に座り込み、しばし妄想に耽りながら疲れをとるのも悪くはない。それはそれでなかなか味のある公衆トイレの活用法ではあるだろう。

(本田成親)