時の流れゆくままに・48 | 府中まちコム
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作成日 2025.02.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・48

「天使の辞典」草稿より抜粋

(内面)
端的に言うと、多岐多様にわたる自らの思いや経験を善と悪、真と偽とに漉し分けたあと、善と真とはこれ見よがしに放出し、残った悪と偽とを濃縮させた塊のほうは、極秘のもとにそっと保管し続け、墓場まで持っていくための心的装置にほかならない。

(におい)
外国人にとって日本語は難しいと言われるが、「におい」という言葉などはその一例だろう。「匂い」という表記の場合には。花の香りなどに象徴されるような、人心をうっとりとした気持ちに導いてくれる類の空気感を表す。その一方、「臭い」という表記を用いるときは、人糞や牛糞のそれに象徴されるが如き、即座に鼻をつまんだり、吐き気を催したりしたくなるような空気感の漂いを意味する。また、後者の記述は、悪行そのものや、悪行に身を委ねる者たちの身から放たれる独特の空気感を表すこともある。

要するに、「におい」というこの言葉は、善悪双方を包み込む何とも幅広い意味を内有してもいるのである。これは漢字という表意文字を基盤とする日本語ならではのことなのだろうが、裏を返せば、日本人が物事を曖昧のままで済ませがちであることの要因にもなっているのかもしれない。

漢字を学びたての外国人とトイレに同行した折など、この「におい」はどっちの漢字を使う「におい」なのでしたっけと訊ねられたりして、一瞬返答に窮することがあったりもする。そんなとき、「これは実によいにおい」ですねと、皮肉を込めた返答をしたりすると、相手はますます困惑の度合い深めてしまうことだろう。

(脱ぐ)
端的に言うなら、内なる実体を曝け出すこと。一組の男女が秘め事を実践する前に一糸纏わぬお互いの地肌を晒し合う行為はその典型。必然の結果として、二人は悶絶を重ね快感の極みに到達する。だが、その一方で、そんな二人それぞれの心を覆い包む「虚と偽りの衣」までを完全に脱ぎ捨てることは不可能に近い。お互い素肌のままで歓喜の秘め事に耽っているさなかにあっても、二股三股をかけて己がその行為を楽しんでいる事実などおくびにも出さないのが男女間の常である。その実態を思えば、虚偽の衣をも脱ぎ捨てることが如何に難しいことであるかが分るというものであろう。

(本田成親)