時の流れゆくままに・54 | 府中まちコム
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作成日 2025.08.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・54

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(類人猿)
我々人間は自らを進化の頂点に立つものと見做し、ゴリラやチンパンジー、オランウータンの類をこの言葉を用いることによって差別し、見下しもしてきた。だが、今やこの世界は、その表記漢字の語順を入れ換え、「類猿人」とでも記述し直したほうがよさそうな猿紛いの人間で溢れ返るようになった。映画「猿の惑星」ではないが、人間が「類猿人」や「類虎人」、「類鯨人」へと成り下がる時代もそう遠くはないようだ。

(礼儀
本来、自由奔放でこのうえなく自分勝手な人間どもが、なんとか相互に生きながらえていけるようにと身につけた、ある種の自己欺瞞に満ちみちた一連の対外的所作法のこと。それゆえに、敢えてそれらを打ち破ることに至上の快感が伴うのは必然の流れだと言ってよい。諸々の事情から自力では如何とも処し難いストレスを抱え込んだ人間が、突如振舞う無礼このうえない行為にも、そう考えてみると一理はあるというわけなのだ。

(老化)
「加齢」の項でも述べたように、人の命は「往きの命」と「還りの命」に分けられるという。前者は人生行路の中間地点に位置する峠に向かって登るまでの行程を、後者はその峠を越えて下り、冥界へと消え去りゆくまでの行程を意味しているのだそうである。そうしてみると、老化は、その全行程の残り四分の一くらいのところに差し掛かった状況を表す言葉なのだということになろう。ただ、そんな最後の下り坂を歩む当人のほうは、なお上り坂を進み続けてさえいるような幻覚を抱くことが多いから、話は厄介なのである。

「認知症」とはそんな老化期のなかで起こる病的症状のことであるが、認知できるなら問題などないではないかと思う人もあることだろう。「物忘れ」の項でも述べたように、昔は「痴呆症」などと呼ばれていたが、それは差別的表現だという批判が起こり、本来あるべき「不認知症」という言い回しを飛び越えて、「認知症」と称されるようになったようだ。したがって、呆け老人が「俺は認知症なのだから、少しも認知力は衰えていない。認知症でない弱年のお前らこそ認知力が不足し、若呆けしてしまっているんだよ!」と開き直るのも当然のことかもしれない。

(和解)
文字通りに読み取ると「和が解体する」ことになるのだから、仲よく親しかった状況が急に険悪な事態に陥ってしまうことを表す言葉だとも受け取れる。だが、現実にはその逆の状況を意味する言葉として用いられているのだから、言語とはなんとも厄介な、いや、「話怪」なものである。

(本田成親)