時の流れゆくままに・16 | 府中まちコム
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作成日 2022.06.07

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・16

いま5月23日の午前5時過ぎ――初夏の爽やかな大気に全身を包まれながら、眼下に広がる太平洋の朝明け光景を見下ろしている。空は薄曇りで静かな海面(うなも)を赤々と照らす朝の陽光こそ見られないものの、その穏やかな情景を目にしていると、不穏な世相の流れを前にいささか苛立ち揺れ惑う心が癒され、静かな境地へと導かれもする。

ここは標高400mほどの伊豆半島赤沢恒陽台にある友人所有の別荘地、緑豊かな周辺の林一帯には早朝から鶯やメジロの鳴き声が高らかに響き渡り、その美しくやわらかな音色をもって、老い果てたこの身に何事かをそっと囁きかけてくる。もう我を張って生きる必要などはないとでも言わんばかりに……。

遥かな水平線上に視線を送ると、伊豆大島や利島の影がほんの幽かに浮かんで見える。時計の針を大きく戻し、遠い昔にそれらの島々を訪ねた日々のことを回想しているうちに、ついつい愚にもつかない情感に浸らされることになった。まだ未来を見つめるだけのエネルギーを内有していた当時の私は、伊豆大島の高原から今自分が立っているこの伊豆半島東部一帯の景観を眺めながら、前途に広がる世界へと誇大な想いを馳せ募らせていた。

だが今や過去の世界を顧みることしか許されなくなった老身は、遠い島影の向こうに潜む若き日の己の幻影と対峙させられる羽目になったのだ。未来と過去に押し挟まれるようにして浮かび上がる一介の(あくた)の如き人生模様に一瞬呆然とする心に、鶯やメジロは優しい鳴き声をもって、まあいいじゃないか、人生なんて所詮そんなものよと語りかけてくる。

考えてみれば、如何に宇宙が壮大かつ深遠なドラマを秘め持っていようとも、それを眺めるこの小さな魂が存在していなければ、それらは全て無に等しい。我々個々の生命体は宇宙が自らの姿を映し出し認識するための小さな鏡のような存在なのかもしれないのだ。

(本田成親)