時の流れ行くままに・26 | 府中まちコム
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作成日 2023.04.04

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れ行くままに・26

「一期一会」という言葉こそが相応しい運命的な出逢いというものは、誰にとっても生涯において一度や二度は起こり得るに違いない。しかし、長い年月が流れ去ったあとで、その折の何気ない出逢いが文字通りに「一期一会」であったと痛感させられるような事例は珍しいことかもしれない。自分の人生にとって掛け替えのないものとなった廻り合いではあっても、多くの場合は「一期一会」に留まらず、「一期五会」や「一期十会」、さらには「一期百会」の如き状況にまで進展してしまいかねないのがこの世の常だからなのである。

まだ二十歳前の大学生だった私は、お盆に帰省した郷里の鹿児島から超満員の東京行き急行列車に揺られつつ東京へと戻る途中だった。当時の急行列車は鹿児島から東京まで31時間をも要したばかりか、立錐の余地もないほどの混雑ぶりが常だった車中には、乗客らが吸うタバコの煙がもうもうと立ち込めていたものである。鹿児島から岡山あたりまではまだ電化されておらず、列車は重量感溢れる蒸気機関車によって牽引されていた。ただその走行速度ときたら、現代の特急列車などに比べれば信じ難いほどに遅々としたものだった。

蒸気機関車に牽引された列車の旅などと言うと、現代の若者らにはメルヘンチックにさえ思われるかもしれないが、その実態はなんとも過酷なものだった。使用電力に限りのある列車のことゆえエアコンや自動換気扇などは未装備だったから、窓際の乗客らが常時手で車窓を開け閉めしながら、車内の換気や室温調整を行わなければならなかった。トンネルに入ると機関車の吐き出す煤煙によって車列全体が覆われてしまうから、猛暑の折でも適宜窓を開閉しながら対応することを迫られた。長旅の折などは、多くの乗客が全身黒い煤まみれになったり、煙を吸って咳き込んだりする事態が頻繁に生じてもいたものである。

そんな列車が北九州に差し掛かった際、小倉あたりから乗り込んできた一人の青年と偶々隣り合わせになった。関門海峡を通過し本州に入るまではお互い無言で通したが、それから程なく、どちらからともなく言葉を交わすようになった。知的な雰囲気を湛えた5歳ほど年上だというその人物は、東京で売れない漫画家をやっているとのことだとかで、折々苦笑しながら、自嘲気味にその苦労譚や将来への不安を忌憚なく語ってくれたものである。

相手の一連の話の中で特に印象深かったのは、「自分はメカニカルなものに対する執着心が異常に強いので、たとえば飛行機を描きたいと思うと、深夜であっても即刻羽田あたりに出向いて実物を精密描写しないと気が済まないのだ」との一言であった。また、売れない今の自分は3歳ほど年長の心の広い女性に支えてもらっている有様だとも吐露してくれた。

互いの連絡先を伝え合うこともなく東京駅で別れ、それから十年余の長い歳月が移り去った。そして、そんな出来事の記憶など脳裏からすっかり消え失せかかっていたある日のこと、漫画関連のニュースを読んでいた私は突然大きな衝撃に襲われることになった。かつて松本(あきら)と名乗っていたあの時の人物こそが、今や一世を風靡してやまない大漫画家の松本零士その人に他ならないと知らされたからである。以後、私は、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を始めとする諸々の松本作品を憑かれたように読み漁ったのだった。  その松本零士氏が、去る2月13日に逝去されたとの訃報に接した今となっては、遠き日の一期一会の想い出を噛み締めながら、衷心よりそのご冥福をお祈りするばかりである。

(本田成親)