時の流れゆくままに・42 | 府中まちコム
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作成日 2024.08.04

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・42

「天使の辞典」草稿より抜粋

(靴)
ペアで人間の足先に張り付くお前らが登場し、この現代社会を席捲するようになったおかげで、古来この尊い大地から委ね続けられてきた特別な感触を、日常的に体感できる者はほとんどいなくなってしまった。大地と人類との長いながい触れ合いを切断してしまったという意味では、お前ら一族の行為は罪深い。夏の海辺の砂浜などに話を限れば一時的にお前らの介入を排除し直接に大地との関係を持つこともできはするが、そんなことはごく上辺だけの行為に過ぎない。

だからといって、片足だけお前を履き、もう片方を裸足のままにしておくと、何とか大地の脈動を感じ取ることができはするものの、歩こうとすると身体の左右のバランスが取れなくなって危なっかしい状態に陥り、大地の感触を味わうどころの話ではなくなってしまう。アフリカや南アメリカの奥地にはいまだにお前らの寄生を拒み続けている者たちがいるらしいが、逆に、生まれてこのかた、まったくと言ってよいほど足裏から大地の温もりを感じ取ったことのない者たちも増えてきている。

布族、天然皮革族、人工皮革族、ゴム族、藁族、樹皮族など様々な種族が存在し、その姿形も働き方も肌の色も多種多様ではある。お高くとまっているもの、鋭い歯を隠し持つもの、水攻めにめっぽう強いもの、どんな人にでも心安く寄生するもの、大金持ちの男やその夫人・子女らにしか寄生しようとしないものなど、その生態も一筋縄では捉えきれない。イタリア生まれの種族などは特に後者の傾向が強く見かけられる。

我々人類が彼らの存在を無視して生存し続けることができればよいのだが、人間自らが長い歴史を通して構築したり変革したりしてきた生活環境の変化や、それら一連の過程に伴う自然適応能力の著しい減衰のために、最早、彼らの助けなしには生きることができない。もしも彼らなしで戸外を歩いたり走ったりしたら、ほとんどの人間があちこちに傷をつくったり、それが原因で大量の血を流したりして、結果的に動きが取れなくなってしまうのが現実だからなのである。

(経験)
何事にも経験を積むことが重要だと言われるが、現実にはその結果培われるものが「軽見」となってしまうことも少なくない。実際、過去の経験を誇示しながら偉そうに振舞う上司やお偉いさん方ほど、その言動が軽薄で鼻についてしまうことになりがちなものだ。「実るほど(こうべ)を垂れる稲穂かな」という昔からの名言があるが、真の意味で深い経験を積み、その人生観に磨きをかけた人物ほど己の経験を誇ったりはしないものである。

学生時代、ボランティア活動の一環として、貧しい母子家庭の児童や身寄りのない孤児らの集まる施設で学習指導をしていたという、ある人物の回顧譚を耳にしたことがある。たまたまコンビニエンス店での買い物を事例にして算数の話を進めようとしていたとき、ひとりの児童がそっと近づいてきて、「お兄ちゃん、私ね、これまでコンビニはお金を払わなくてもかまわないところだと思っていたの……」と囁いたのだという。それまで人知れず積み重ねてきた生活体験の数々を、その児童がのちのちの成長過程において貴重な自己反省と自己研磨の素材としたのか、それともこの世をとことんずる賢く生き抜くための礎としたのかは最早知る由もない。コンビニにおけるそれら一連の幼き日の経験を生かすも殺すもその人次第ということになるのだろうが、もしそうだとすると、蔭に在ってその生殺与奪を握る「運命」とはいったい如何なる存在なのだろう。

(本田成親)