時の流れゆくままに・44 | 府中まちコム
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作成日 2024.10.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・44


「天使の辞典」草稿より抜粋

(死)
苦渋に満ちた人生の旅路において出遭う最悪の悲劇や最大の恐怖から逃れるために、個々の人間に許される唯一かつ決定的な解決手段。自分の死期を公に予言していた占星術師ジロラモ・カルダノは、当日、体調万全のまま目覚めたが、慌てず騒がず自らの予見の正しさを立証すべく、その日のうちに自殺して果てたという。

さらにまた、なかには、「人生いろいろあったけど、死んでみるのはこれが初めて」という狂歌を遺言代わりにして彼岸へと旅立った先人などもあったというから、まさに人生いろいろではあると言ってよい。

ある墓碑銘にいわく、「我が愛する妻よ、安らかに眠れ! 我もまた安らかにくつろがん!」――ああ、これまた死を冷静に見据えたすえに湧き上がる偽りなき男心よ!

(推理小説) 
ストーリー中の事件の真相が読者に推理できる度合いが低くければ低いほどに優れた作品だとされる傾向があることを思うと、「不推理小説」あるいは「無推理小説」と称するほうが適切なジャンルではある。殺人、誘拐、暴行、詐欺、窃盗など通常の社会生活においては表向き悪行とされ諸々の行為が、作品中では当然のものとして展開されることからも、内なる残虐性の捌け口を密かに求めてやまない我々人間にとっては格好な存在であると言ってよい。ただ、時代小説なら主人公が次々と悪人を切り殺せるが、近現代的社会が舞台の推理小説では名探偵や名刑事なる主人公が悪人を殺戮するわけにいかないのは、少々困った一面でもあるようだ。

(生花)
別称「殺花」ともいう。野にあってひたすら生き抜く数々の草花の命を、文字通り「ちょん切る」ことによって成り立つ日本の伝統芸術。見方によっては、草花の大量虐殺を美化称賛する奇々怪々な芸風をもそなえもつとも言える。自らの犯罪を如何に巧妙に隠しおおせるか、すなわち、切り殺した草花の屍をどうすれば生きているように見せかけることができるかを工夫研鑽する点で、江戸川乱歩好みの芸術とも言えよう。推理小説界の江戸川乱歩賞に相当する「怪奇二十面相賞」みたいなものがこの生花芸術界にいまだに存在しないのは惜しまれてならない。

生き生きとした状態のままで殺す技法には様々な流儀があり、それぞれの流派ともに多数の殺し屋を有しているが、昨今では女流殺し屋の数のほうが圧倒的に多い。この特異な技芸道において免許皆伝の身となるには、各種必殺技の修得のほかに多額の献上金が必要で、そのうえで初めて、一門の一人前の草花殺し屋として新弟子の養成に当たることが許される。以前は結婚前の女性の多くが多少ともこの技芸の修得に励もうとしていたものだが、近年ではその傾向は廃れてきている。言語構成としては「生花」と対照的に見える「死花」という言葉があるが、こちらのほうは、枯れ果てた草花を集めて飾ることではなく、死を目前にした人間が周辺の者たちを感銘させるような見事な死に際を見せることをいう。

(本田成親)