時の流れゆくままに・46 | 府中まちコム
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作成日 2024.12.04

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・46

バベルの塔崩壊イラスト

 「天使の辞典」草稿より抜粋

(手紙)
一昔前までは、細長い竹筒先に動物の毛のついた墨汁吸着用器具や、一万年にわたって使えるとかいう特殊液体吸排出性の筆記用小道具、鋭く尖った変形ハート型小金具の先端を時々液体入りの小瓶に浸して使う用具などを用い,何枚もの長四角の薄紙に一字一句ずつ思いを込めた文言の数々を書き記すのが普通だった。その文言を伝えるべき相手にそれらが届くまでにはそれなりの日時を要し、先方からお返しの文言が戻ってくるまでには、さらにまた長い時間がかかったものである。かつては、海の向こうの相手とのやり取りともなると、その間に月単位の日時が流れることも珍しくはなかった。

その文言の中身が相手への切ない胸の内を訴えかけ、先方からの応答を待つという類のものにあっては、心中で手を合わせながらそれを送り出すほうも、折り返しそれに対する自らの胸中を綴り送り返すほうも、一世一代の大芝居を演じ切ることが求められていた。そのやり取りが一度に留まらず、延々と繰り返されるようなものにあっては、のちに当人らでさえも想像してなかったような付加価値が生じるものもあったりした。もっとも、中には、三行半のごく短い文言のみを記して終わる日本古来の伝統的書式などもあって、こちらのほうは夫婦間や長年親交のあった相手などに決別の意を伝える際などに用いられたものである。今では死語と化した「三下り半を叩きつける」などいう言葉などは、一時代前によく起こったそんな事態の有様を端的に表すものでもあった。

なんとも皮肉な話ではあるが、実際のところ、我々現代人は、「手紙」とも呼ばれるそんな昔ながらの古風な意思伝達手段に文字通りの「三下り半」を叩きつけざるを得ない状況に立ち至ってきている。最早、多くの若者らの間では「手紙」なるものを書き記す慣習は失われ、そのために一役買っていた数々の伝統的な表現用語類も忘れ去られていくようになった。今なお「手紙」という意思疎通手段に拘っているのは、高齢者の中でも「化石人間化」したごく一部の人々だけ限られるようになっている。

その善し悪しはともかくとして、そんな社会状況の一大変革をもたらした主導者とも主犯格とも言うべき存在は、アルファベットキーや平仮名キーのずらりと並ぶ外国由来の新参便利屋野郎どもである。さらにまた、その変種で、「カッコいい電話」とかいう呼名をもつ、人間への感染性の高いしろものなどは、「電話」という本来の会話用業務を逸脱した領域においてまで、幅を利かせるようになってきてもいる。文字を書き記す代わりに指先を素早く動かしながら彼らにアルファベット言葉や平仮名言葉を伝えると、紙替わりの半透明表示板の上に、素早く変換されたそれなりの文字や文章を提示してくれる。

ただ、ついつい指先の運び方を間違えたり、急ぎ焦って彼らの機嫌を損ねたりすると、そのメッセージを受け取った相手から嘲笑されたり不審がられたりするような事態にも至りかねない。しかもその伝達速度たるや、文字通り電光石火の如きものときているから、始末が悪いことこのうえない。最早そこには、一昔前の「手紙」なるものの有していた風情のかけらさえも感じられない。一方的なメッセージの送り付けや、逆にその受取り拒否が可能なのもその特質ではあるだろう。

そんな便利屋野郎どもの寄生拡大によって、昨今では、かつて用いられていた意思伝達用の長い文章や、深い意味を込めた表現などは敬遠・排除されるようになり、短くて軽い会話体の短文、さらには彼らが得意とする画像交信だけが重用されるようになってきた。そのため、この国の伝統的言語文化は、文字通り解体消滅の危機に瀕してきつつある。

(本田成親)