時の流れゆくままに・50 | 府中まちコム
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作成日 2025.04.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・50

 「天使の辞典」草稿より抜粋

(火)
神秘的美しさと比類なき残酷さとを同時に秘め持つこの世の妖術師。その不可思議な輝きで、見る者の心を魅惑し感動させる一方で、残虐そのもの魔性の炎をもって生きとし生けるものを焼き尽くし絶滅させる。その宿敵は水だが、これまたこのうえなく魅惑的な輝きと非情極まりない残忍さを併せ持つ稀代の魔術師にほかならない。結局、この世の全ての生命体は、それら両者の凌ぎ合いの余波を被りながら、死と隣り合わせを承知で細々と命を繋いでいくしかない。猛火で焼死した遺体が水の力で遺骨へと浄化され、逆に水死した遺体が火力によって遺骨化されるのも、皮肉と言えば皮肉な話ではあろう。

(風刺)
世の片隅にあっての日々の赤貧生活のもと、息絶え絶えに暮らす筆者のごとき愚人凡人の類が、本稿「天使の辞典」のそれにも見るように、およそ実生活には無縁な戯言や虚言を並べ立て、心中に積る鬱憤を晴らそうとする行為をいう。その矛先が我が世の春を謳歌する世のお偉いさん方に向けられる場合には、棘だらけの直接的な批判よりも効を奏すこともあり、そんな折には大衆から共感の声が上がったりもする。ただまあ、この「天使の辞典」などに至っては、「転死の辞典」に成り果てるのが見え見えではあるのだが……。

(平均概念)
様々な社会事象の全体的特性を把握するために必要不可欠な概念とされ、一般には至極当然の考え方として受け止められている。しかし、現実から大きく乖離した架空の見解を導き出すことがあるのもその概念の一面であると言ってよい。例えば、社会的格差の極めて大きな国などにおける平均所得の数値のごときものは、貧困で苦しむ大多数の民衆の実態などからは程遠いものとなる。しかしながら、時の国家の権力者らは、表向きの国の姿を美化して見せるために諸々の平均概念を駆使して巧みに民心を欺く。

「木を見て森を見ず」、すなわち「些細なことのみこだわって重要な全体像を見てはいない」という意味の諺を都合よく利用することにも役立つ平均の概念というものは、その逆の「森を見て木を見ず」とでも言い表すべき悪徳政治屋どもの最も好む信条を裏支えすることにも繋がっているからだ。それゆえに、人間社会と言う名の森林にあっては、「木も見て森も見る」という、慎重かつ実直な両面的行動こそが相応しいのであるが、残念ながらそれを実践できるような政治家など、昨今の政界にあっては皆無に近い。

(放浪癖)
偉大このうえない芸術的創作や学術的大発見を生み出す源泉、あるいは原動力となる不可思議な性癖。この性癖なくしては人類の文化など誕生しえなかったはずなのであるが、綺麗事が先走る現代社会では、この種の習癖の持ち主は蔑視されることも少なくはない。

(本田成親)