時の流れゆくままに・52 | 府中まちコム
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作成日 2025.06.04

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・52

「天使の辞典」草稿より抜粋

(名言)
この世には無数の名言が存在している。だが、その中でも、悲喜交々な人生の末路を迎え、程なく彼岸へと旅立とうとする者にとっての究極の名言は、「加齢」や「死」の項目においても述べてみたように、「人生いろいろあったけど、死んでみるのはこれが初めて」という一言に尽きるであろう。

(妄想)
もともとは仏教用語で、真実でないものを真実であると誤って認識すること、さらにはそのようにしてもたらされた淫らな想いのことをいう。邪念とも記述される。煩悩の生みもたらす幻想と考えてもらってもよいだろう。

だが、そんな妄想が人間にとってのとてつもない行動力の源泉となることも少なくない。そもそも、この世の成功者と呼ばれる人物らのほとんどは妄想癖の持ち主だったと断じても差し支えないだろう。この世の全ては空であると悟った至上の禅僧のごとき存在は、迷い悩める人々の心を受け止め安らわせてはくれるが、人類の物質文化的生活の発展に貢献することはほとんどない。そもそも妄想がなければ、恋愛や結婚、さらには子孫の誕生に繋がる性的エネルギーなどは生まれようがない。その意味では、妄想は人間社会持続のための原動力なのでもある。

(矢面に立つ)
昨今にあっては、時の政府の軽薄な政策に対する一般大衆からの痛烈な批判に際し、堂々とそれらに立ち向かえるような政治家はほぼ皆無となった。我先にと矢面(やおもて)から逃げ出す卑怯で臆病な政治屋ばかりが跋扈(ばっこ)する時代とはなり、それゆえ、日本という国の品格は凋落の一途を辿っている。国の品格そのものが矢面に立たされ、無数の矢を浴びて絶滅寸前になっているという有様なのだ。

(友情)
幼少期の「遊情」に始まり、思春期には「誘情」と化し、青春期には「勇情」となり、壮年期には「憂情」と変わり、老年期に入ると「融情」へと移ろい、さらに晩年期に至ると「幽情」と成り果てるいささか厄介な、しかしながら避け難い人間関係のこと。

ちなみに、本稿起草の契機にもなった名著、「悪魔の辞典」(邦訳は岩波書店刊)の筆者として名高いアンブローズ・ビアスは、その辞典の中で、友情のことを、「天候のよい時には人を二人乗せることができるが、天候の悪い時にはたった一人しか乗せることのできない、そんな程度の大きさの船」と述べ記している。

(本田成親)