時の流れゆくままに・55 | 府中まちコム
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作成日 2025.09.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・55

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(相棒)
近年は有名なサスペンス・テレビドラマの題名として知られるこの言葉だが、その語源についてはあまり知られていないのが実情のようである。昔、駕籠や肥桶などを運ぶ際には、横長の丈夫な芯棒の両端を二人の人間で担ぐのが常であった。すなわち、一本の芯棒を介して、二人の人間が互いに相手と呼吸を合わせながら運搬の業務に当たる様子から、相棒というこの言葉が生まれたのだ。そして、それから転じて、一緒に物事をする相手や仲間を意味する言葉ともなった。

人間社会や個々の人生行路においては様々な相棒が登場するものだが、皮肉なことにその大半は、結果的に「哀棒」となってしまいがちなものである。相棒に「愛棒」を求めてやまない若くて恋に一途な女性などにとっては、それだけは何としても願い下げにしたい事態ではあるだろうけれども。

(意志)
薄弱なほうが人間社会の中にあっては無難に過ごすことのできる精神機能の一様態。変に我を張ったりせず、また自らは余計なことを考えたりもせず、世の中の動きに流されるままに生きたほうが楽に決まっているのだから、その機能はなるべく弱いに越したことはない。そのほうが世のお偉いさん方にも愛され、大いに重宝がられたりもする。世間にはその精神機能が強固であることを美徳とする風潮もあったりはするが、下手に強固だったりするとろくなことにはならない。

多くの場合、そのなれの果ては、庶民からも蔑視されるほどに強欲そのものの悪徳政治家か、さもなければ、見るからに怪しげなオカルト宗教の教祖様のごとき存在となることに他ならないだろう。「意志」が強固過ぎるがゆえに「縊死」することだって起こり得ることもあらかじめ弁えておく必要があるだろう。そのような場合には、当人の「遺志」が残されることも少なくないようである。

(嘘をつく)
この複雑極まりない人間社会の中で生き延びていくためには不可欠な技術。諸国家間における表向きの平和を維持するために、国家の指導者や中枢的外交官らが常用する手段でもある。そもそも「私は絶対に嘘をつかない」などと言い張った途端に、その人物は嘘をつくことになってしまう。「私は嘘をつきます」とか、「これから私がする話には数々の嘘が紛れ込んでいます」とかいう言葉こそは紛れもない真実なのだが、それでは世の中が巧く回らないから、人間社会とは厄介なものである。どうせなら、初等中等の学校教育などでは、「人間の言うことは皆嘘である」という教訓を必修事項として徹底するようにするべきなのかもしれないし、そのほうが将来的にも有意義であるように思われてならない。

(映像)
端的に言うなら嘘の塊。一昔前の時代は「映像は嘘をつかない」などともてはやされもしたが、フェイク映像が当たり前となり、それがフェイクであると見極めることも困難となった現代にあっては、真実の映像を求めようとする行為自体が愚行である。諸々の虚像を実像と受け止め、かつて実像とされていた類のものなどが実は儚い虚像に過ぎなかったのだと考えるような、発想の一大転換が求められよう。「嘘は万物の始まり」、そして「真実は万物の終わり」とでも言うに相応しい時代がついに到来したというわけなのだ。

(本田成親)