時の流れゆくままに・56 | 府中まちコム
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作成日 2025.10.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・56

 「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(お札)
近年、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎らの肖像写真をデザイン化した新札が発行され、それらとともに、福沢諭吉以下の面々の姿を描いた旧札は強制撤去を余儀なくされることになった。学術界を象徴する福沢諭吉から経済界を象徴する渋沢栄一の肖像画へと1万円札のデザインが変更された経緯は、奇しくも日本社会の価値観の変遷を物語っているとも言えよう。

将来的にips細胞の発見者山中伸弥のような学術界を代表する人物のそれへと、1万円札の肖像画デザインが回帰するか否かは不明である。だが、学術界も経済界も衰退の一途を辿るこの国にあっては、そのうち1ドル1万円レベルの超円安時代が訪れ、国際的な観点からすれば、日本のお札など紙屑に過ぎない事態に襲われることにもなるかもしれない。もちろん、そんな状況に瀕すれば、最近庶民の間で広くもてはやされるようになった電子マネーなるものも、「電死マネー」へと成り果てるだろうことは避け難い。

(回送)
自らに送られてきた物を他者にそのまま送り付け、その品物をぐるぐる回しすることをいうが、金権政治家などが裏金を仲間内で「怪送」する行為などもその範疇に入っていると考えてもよいだろう。 

そのほかに空車のままのタクシー、バス、電車などを業務上の必要から他所へ送車することなども意味する。ところが、時折、タクシーの運転手などが、「回送中」の表示を掲げたままで深夜や未明の公園脇などに駐車し、睡眠をとっている光景なども見かけられる。「回送中」などではなく、業務は捨て置き夢の中で「快想中」というわけだ。どうせなら、「快眠中」という表示をも掲げられるとうにしたほうがよいくらいだ。またそんな彼らにも、たまには長距離乗車の上客などがあることだろうから、そんな折の気分発揚のために「快走中」なる表示を掲げることも許されてしかるべきなのではなかろうか。

(切符)
最早、絶滅危惧種と成り果てた紙製乗車券のこと。各種タッチカード類やスマホ処理方式による乗降者検閲技術の進化により、その存在は風前の灯となってきている。今では死語となった「キセル」という特殊な行為を実践するのにもそれは随分と活躍したものだが、もう遠き日のそんな面影など何処を探しても見当たりはしない。かつての時代、貧乏生活を送っていた若者などにとっては、キセルはちょっとした救いの手とでも言うべきものであった。

キセルとは昔よく使われていた喫煙器具のことで、煙草を詰めて点火する先端部分と口にくわえて喫煙する末端部だけが金属でできており、それら両部を繋ぐ長い手持ちの部分は竹製あるいは木製になっていた。電車や長距離列車などを利用する際、全行程の始めと終わりに相当する部分だけの乗車料金を支払い、残りの分の料金を中抜きして安上がりで済ませる不正行為が、古来伝わるその喫煙器具の構造によって象徴されていたがゆえに、その不正行為はキセルと呼ばれるようになった。

その手口は、かなり離れたところから自宅に戻るような場合、乗車駅で隣の駅までの切符を買って乗車し、自宅近くの駅で下車する場合は定期券を提示して改札口を抜けるといったようなものであった。キセルが横行した時代は、まだ自動改札口は普及しておらず、改札口には駅員が立っていて、乗客一人ひとりの乗車券をチェックしていたものである。したがって駅員が中抜きの事実を把握することは不可能だったのだ。

キセル行為の最たるものは、例えば東京から大阪などに出向く場合、東京駅で最短距離分の切符を買って途中で乗車券の検閲のない満員の夜行列車などに乗り込み、あらかじめ連絡してあった大阪在住の知人や友人に入場券を買って迎えに来てもらい、その入場券を受け取ったうえでそれを使って改札口を抜け出るといったようなものであった。もちろん、迎えに来た知人のほうは持参の定期券か、余分に買った入場券などを用いて平然と改札口をあとにしたというわけである。

(本田成親)