時の流れゆくままに・57 | 府中まちコム
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作成日 2025.11.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・57

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(工面する)
もともとは社会生活を通じて直面する諸問題について、いろいろな工夫を凝らしながら臨機応変に適切な対応をすることを意味していた。だが、何時の間にか、お金がなくて困っている人が、当面の厳しい状況を乗り切るため、何とかその場凌ぎの対応策をとったり、他者からお金を無心された人物が渋々その要請に応じたりすることを表すようになった。皮肉なことだが、「工面する」という言葉そのものが渋々ながら世の要請に応じてその意味するところを工面したというわけである。そのような状況を考慮すると、「工面する」という表記を「苦面する」と改めたほうがよいのかもしれない。苦悩多き現世ならではのことではあるが、時代と共に変容するのが言葉というものの宿命ならば、そのような変化は当然起こってもよいであろう。

(競馬界の都市伝説)
昔ある筋から仄聞したところによると、競馬界には馬主専用レースなるものが存在しているらしい。それが事実か否かは知る由もないが、もしそれが都市伝説の類だったとしてもそれなりには現実味のある話ゆえ、なかなか興味深いものがある。競馬界には馬主と呼ばれる競走馬の所有者が多数存在しており、それら馬主の尽力がなければ競馬界は成り立たない。数々の競走馬は競馬場サイドが所有しているわけはなく、個々の馬にはそれぞれに民間の所有者がいるわけで、それらの人々こそが馬主と呼ばれる存在にほかならない。

競走馬を所有し日々それを管理育成して競馬レースに登場させるには莫大な費用を要する。しかも、諸々のレースで優勝して高額な賞金を獲得できるのは全体からするとごく一部の馬主に過ぎないし、それとても偶然の運のもたらす賜物で、一定してそんな収入があるわけではない。大富豪なら、馬主を務めることによってたとえ赤字になったとしても、それも遊興費のうちとして平然と構えてもおられようが、蔭で競馬を支える馬主のほとんどの場合は、そうはいかないことは目に見えている。

そこで、各競馬の運営組織体などは、合法的八百長でも称すべき馬主専用レースなるものを通常レースの中に年何回か密かに組み込むのだそうだ。そのレースにおいてはあらかじめ勝ち馬が定められており、暗黙のうちに各騎手らには特定の馬を勝たせるような指示がなされ、また馬主らには何らかの手段をもって、極秘のうちに勝ち馬情報共々にそれが彼らの専用レースであるとの伝達がなされるものらしい。

走行中の競走馬というものは、左から拍車を入れるか右から拍車を入れるかによって、あるいは鞭を入れるタイミングによって、走行速度やカーブ地点での走行距離に相当な違いが生じるのだという。また、両膝で馬の首筋を挟むようにして走行する際に、首の関節ひとつ分だけ体重をかける位置をずらすだけで、二千メートルのレースのゴール地点では五メートル前後の差を生じさせることができるものだそうだ。各騎手はそれらの特殊技術を巧みに駆使しながら自乗している馬の走行速度を相互調整し、あらかじめ決められている馬を勝たせるのだそうだが、一般観客にはどの馬も全力疾走しているように見え、そんな裏事情があることなどは絶対にわからないという。個々の馬主のほうはそんなレースに大金を賭けたうえで、合法的に賭け金の何倍もの多額の利益を獲得し、それによって競走馬を維持し続けることができるようになっているというわけだ。もちろん、たまにはそんな仕込みレースでも予定外の馬が勝ったりするとはあるようだが、年に何回かある同様の他の仕込みレースに賭けることによって、一時的なその損失はカバーできるのだそうである。

これは飽く迄も架空の話ではあるのだが、その気になればダービーほどに馬主専用の仕込みをしやすいレースはないだろう。ただ、さすがに、その高名な大レースにそんな仕込みをするのは憚られるので、たとえ仕込みがなされるにしてもそれは何十年に一度くらいの程度であるに違いない。ダービーという三歳馬専用のレースには、そのシステム上、どんな馬も生涯に一度しか参加できない。そのため、ダービー直前までの諸レースでは、実際には抜群の能力のある馬の走行をダービーには参加できるが本命馬ではないと思わせる程度にコントロールしておき、本番で真の走行能力を発揮させ優勝させるということが可能となるというわけだ。この種の手口は、馬主専用レースに利用できるばかりでなく、ある馬主が所有馬の真の能力をダービーまで隠しておき、本番で実力を発揮させて勝利をおさめ、多額の賞金と栄誉とを獲得するためにも活用できるのではなかろうか。

その場合、一般の競馬ファンらは、そんな裏事情が介在することもまた偶然のひとつであり、それもまた競馬の醍醐味だと受け止めていくしかないだろう。敢えて妄想を広げれば、一連のそんな合法的八百長あってこそ競馬という事業は成り立つというわけである。そして、その種の事業の背後にあって、徴税という名目で少なからぬ収益をあげているのが、国家や自治体という黒幕的存在にほかならないということにもなってくる。

(本田成親)