時の流れゆくままに・62 | 府中まちコム
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作成日 2026.04.05

この記事の分類 府中絵日記, 随想

時の流れゆくままに・62

「天使こと転詞の辞典」草稿より抜粋

(猫を被る)
時代の流れを反映してか、「本性を隠しておとなしそうに振舞ってみせる」という意味のこの言葉はほとんど死語になりかかっている。SNSなどの流行に伴い、自己に対する承認欲求の高い者ほどもてはやされ、それが金儲けにも繋がることもあって、同じネコ科でも、いまやこの世は、「虎」を被ったり、「豹」を被ったり、「獅子」を被ったりする者たちで溢れ返っている。それでもまあ、平和の象徴「鳩」を被った超大国の権力者などよりはずっとましなのではあるけれども……。

(のぼせあがる)
身の程知らずの人間が、たまたま幸運に恵まれ分不相応な地位に就いたり、何かしらの仕事で名を馳せたりしたあと、自分には本当に実力があると勘違いを起こし、如何にも偉そうに振舞うようになることをいう。ただ、厄介なのは、そんな輩に媚びへつらう者らが多々現われることである。彼らは、自分らがひたすらへつらう相手の実体が空疎そのものであることを知りながらも、自己利益のためにその人物を利用しようとするのだから何とも始末が悪い。昨今のどこかの国のお大臣方やその取り巻き政治家連中の姿はその象徴だと言ってよい。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺など、彼らには全く無縁な存在のようなのだ。

(博識)
表面的には豊富な知見を具え持っているかのように見えるものの、大抵の場合、特定の知識についてその筋の専門家から深く尋ねられると、たちまち馬脚を現してしまいがちであることなどから、その本質は「薄識」あるいは「掃く識」だとでも言うべきかもしれない。ただ、真の博識者が有する深くて広い教養というものは社会にとって有意義なので、それらの知見を誇示するのではなく、謙虚さをもって人々を教え導いて欲しいものだとは思う。

(悲哀)
苦悩に満ちみちたそれまでの人生の歩みを振り切って、新たな人生路に立ち向かうための起爆剤。心中深くに募った悲哀こそは、人間を鍛え上げ、人生という絶対解など存在しない行路へと再突入するエネルギーを生みもたらしてくれる。

かなしみも灯る命のあればとて夕冴えわたる能登の海うみ

この歌がさりげなく示唆しているように、たとえそれが深い絶望につながるかなしみであったとしても、いや、むしろ、そんなかなしみであればあるほどに、そう感じる人の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに違いない。深いかなしみが命灯の輝きの証であるならば、「かなしみ」や「さびしさ」をより多く背負う人間ほどいまを激しく生きているのだと言えないこともない。「そんな人間こそ、ほんとうはより命を輝かせて生きていると言えるんだよ」という無言の励ましを、能登の海うみの夕映えの光景を詠んだこの歌は、そっと囁き伝えてくれようとしている。

(風俗業)
そもそも「風俗」とは人間生活上の「ならわし」や「しきたり」、すなわち、風習を表す言葉である。ところが、それに「業」という一文字が付加されただけで、人間の本能的欲求を満たす職業を意味する隠語へと変容してしまうのだから、甚だ奇妙な話ではある。蔭で風俗業の恩恵に預かりながらも、表立っては風俗業を卑下するような輩などは、その矛盾した己の行為を恥じるべきだろう。また、風俗業に携わる人々には、この際、誇りをもってその仕事にひたすら精進することにより、その本質は人間社会の誰もが具え持つ「ならわし」そのものであることを是非明らかにしてもらいたい。

(本田成親)