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作成日 2023.03.02

この記事の分類 ICT, 府中絵日記, 随想

時の流れ行くままに・25

2023年3月2日(木)

囲碁将棋の世界にあっては、AIは今や絶対的存在として崇め奉られるようになった。名人を名乗る最強の棋士でも、AIには太刀打ちできなくなってしまったからなのだ。そんな昨今の状況をメディアに煽り立てられたりすると、遂にAIは人間の知能を超えたと誰しもが早合点したくもなる。だが、ここは一歩踏み止まって冷静に構えてもらいたい。

AIすなわち人工知能の「知能」という言葉は、本来、真の意味での自主思考力と創造性に基づいて振舞うことを意味している。その視点に立って考えるなら、人間が創作した囲碁将棋の諸ルールやその内蔵プログラムに沿って折々の最適手順を算出し、その結果AIが人間の名人に勝利したとしても、それは人工知能が人間の知能を凌駕したことにはならない。

壮大かつ神秘的な宇宙の姿を探究する物理学者が、人間の計算能力では一生かかっても解けないような超高難度の微分方程式を立て、その解をスパコンにごく短時間で算出してもらうようなことは、学術界では今や日常茶飯事に過ぎない。ただ、だからと言って、スパコンが人間の知能を超えたと意気消沈する研究者などありはしない。スパコンは自ら研究目標を定めることもできなければ、必要な微分方程式を立てることもできないからである。

その事例を囲碁将棋のようなゲームに当て嵌めて考えるなら、人間の名人に勝る手をAIが導く過程は、研究者が立てた微分方程式を、人間が案出しスパコンに組み込んだ計算ルールに従って解くプロセスに対応しているに過ぎない。そもそもAIに囲碁将棋のルールをプログラム化して教え込むのは人間であって、AI自体が自動的にそうできるわけではない。

そう考えてみると、囲碁将棋のようなゲームの世界でAIが人間と同等以上の「知能」を持ったと言えるのは、人間の手を一切借りることなく、AIが囲碁将棋に匹敵するようなゲームを創出したときである。自らは勝ち負けの意味すら知覚できない現在のAIには、ごく簡単なゲームですら、自力で構想・制作することなどまだまだ不可能なのである。

意地悪な見方かもしれないが、真に人間の能力を超える「人工知能」であるというのなら、AIはゲームのプログラミングを含めて全てを自ら創作実践するしかない。それは、昔、一時的に先駆的コンピュータ科学研究に携わったりもしたこの老身の偽らぬ想いなのである。

(本田成親)